Pornhubの奴隷
ちょっと前にWi-Fiの料金を滞納してしまってネットが止まってしまった時の話。
最初はWi-Fi壊れたかな?と思ってコールセンターに電話して確かめたんだけど、受付のお姉さんに聞いていったらただ単に引き落としができなくて料金未払いになってて使用を止めていますとのこと。学生の頃は3ヶ月に1回くらいは止められてたけど社会人になってからは初めてでお姉さんに「あれ、違う口座登録してるのかな…ハハ……」と牽制は入れておいたけど多分普通に金無くて止まったのはバレていたと思う。だってWi-Fi料金高いんだもの、、6500円は上等な居酒屋一食分くらいよ、、
結局コンビニで滞納分払ったんだけど大抵復旧は明日になるから1日はネット環境がほとんど無いような状態になってしまう。基本家でする娯楽は全てネット環境ありきのものしかなくて、ネットが止まってしまうと基本的に何もする事が出来ないでいた。
仕事もあるし、じゃあもう仕方ないからオナニーでもしてさっさと寝ることにした。
しかし、オナニーが出来ない。
正確には出来ないのではない。ズリネタが無いから一向に致すことが出来ないのである。
通信制限にかかると、この世の全ての事象に怒りを覚えてビルに放火したくなるから動画は見れない。仕方ないから日々Twitterで仕入れている仮装痴女(コスプレイヤー)達の乳房と臀部でマラをしごくも、勃ちはすれど"終え"れそうな気配は全く無い。射精管に石詰まってんのかなってくらい前兆が無いのである。
・・・情けない。その時自分は激しく後悔した。
いつもはWi-Fi環境の中でチョチョッと「パイパン 中出し」と検索すればすぐに好みの無毛女の性行が左手に映し出されていたが、今や左手のそれはただの写真立て。文明の粋とも呼べる利器はただのコンパクトなアルバムと化していた。
───怠慢である。
昔の自分はどうだ。ネット環境など無い時代の自分は少年ジャンプのキャラを必死に頭に浮かべ、綱手やToLOVEるのララのエッチなシーンを反芻しながら行為に至っていたではないか!
明らかにエロ動画という退廃娯楽に隷従した結果である。
時には商業誌も読んだ。時にはネットでエロフラッシュも嗜んだ。しかしその製図を描くは常に自らの脳内。蓄えた叡智を無限のアトリエに思い々い想起する。まさに脳こそが小さなプラトン的イデア界であり、「精神の宮殿」なのである。
過去の自分が出来ていた事が出来なくなっていく。これこそがこの発達した文明社会に迎合し、本来持つ大脳の思考能力を退化させているということなのだ。
スコットランドの地質学者ドゥーガル・ニクソンは自著『マン・アフター・マン』にて500万年後の地球に住む人類を描いている。その中で描かれる新人類「ハイテック」 (Homo sapiens machinadiumentum )は高度な文明生活に依存し過ぎたために身体能力が致命的なまでに低下し、自らの身体機能を機械装置で補わざるを得ない人類である。彼らは縮小した身体を機械装置のユニットに収め、交配すら維持装置無しでは行う事が出来ない。
機械装置無くては自慰すら1人で行う事が出来ない。それはまさに今我々人類が置かれている状況ではないか。
江戸時代における春画の流行、ひいては古代中国の時代から研究されている房中術など、人類の性に関する探究心は留まる所を知らない。その中において最も重視されるのは目に映る単一的な〈肉〉としての性行為では無く、精神的リビドーの解放に基づくエロティシズムであったはずだ。我々現代人は今一度置かれている現在地を再確認し、自慰とは何かを再考する必要がある。それはもう一度我々が自らの内に「精神の宮殿」を再興する道程でもあるのだ。
ドリチン・ルター『電脳隷従論』講談社学術文庫 より一部引用
- 作者: ドゥーガル・ディクソン,今泉吉典
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
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