千のブリトー

生涯大学1年生

【感想】『西の魔女が死んだ』梨木香歩 読み終わった話

 

※若干のネタバレ有り

 

西の魔女が死んだ (新潮文庫)

西の魔女が死んだ (新潮文庫)

 

 

 

今日はちょうど読み終わった梨木香歩さんの『西の魔女が死んだ』を読んで自分が感じたこと、思ったことを—―備忘録的な意味合いもありつつも――まとめていきたいと思う。

 

この本を知ったきっかけは、「新潮文庫の100冊」という本屋さんがやってるイベント?みたいなのだった。

僕自身あんまり本を読まないし、こういうイベント系で出ている本に面白くなかった試しがないから割と自分は‘‘そういう系‘‘のイベントを重宝している。何読んでもおもしれえんだよな、僕は勝手にマンガでいう「このマンガがすごい!」くらいの信頼度だと思ってる(たまにハズレがあるところも含めて)

 

 

「中学に進んでまもなく、どうしても学校へ足が向かなくなった少女まいは、季節が初夏へと移り変わるひと月あまりを、西の魔女のもとで過した。西の魔女ことママのママ、つまり大好きなおばあちゃんから、まいは魔女の手ほどきを受けるのだが、魔女修行の肝心のかなめは、何でも自分で決める、ということだった。喜びも希望も、もちろん幸せも……。その後のまいの物語「渡りの一日」併録。」

 

あらすじのそのまま引用。

つまるところ主人公の「まい」が「西の魔女」ことおばあちゃんに魔女の修行を受けることで人間的に成長していくという物語。

魔女の修行といっても何らかの儀式をするわけではなく、「朝の7時に起きる」だったり「自分ですることを決める」みたいな人間的に成長するような訓練のようなことを指している。

まいとおばあちゃんの日常をなぞりながら物語が進んでいくのだが、自分も小学3、4年くらいの頃に実家の自営業が忙しいからという理由で母方のおじいちゃんおばあちゃんのところへ預けられたことがあった。だから、まいが預けられた初日にホームシックになってしまうような感覚や、おばあちゃんに叱られてちょっとギクシャクしてしまうような感覚がとてもよくわかった。実話なのか僕はよくわかってないんだけど、これは絶対本人の体験が色濃く表現されている作品だと思った。

実は自分自身も近いうちに叔母を亡くしている。だから、まいが抱いた後悔や伝えたかったことなどが手に取るように分かって思わず泣いてしまった(スタバで読んでたから多分気持ち悪がられたと思う)作中のおばあちゃんは、僕の母方のおばあちゃんと、そのひいばあちゃんをちょうど足したような人物で、読んでいて二人に久しぶりに会えた気がした。この感覚を味わっているのはたぶん僕だけではなくて、作中のおばあちゃんは、みんなの「おばあちゃん」なのだと思う

「人の死」は誰しもが遅かれ早かれ経験するもので、やはりこれも何かしら私たちに考えさせるものを与えてくれるものである。『西の魔女が死んだ』はそういう意味では「死」とはどういうものであるか、そこから何を得るかを改めて考えさせるきっかけになった小説だったと思う。

 

 

本書でとても印象に残っているシーンが一つある。

西の魔女ことおばあちゃんは、まいに色々な知恵を、時に哲学を与えてくれる女性なのだけれど、まいのお母さんはおばあちゃんのオールドタイプな考え方に時折反発していた。あばあちゃんは結婚したら仕事をするべきではないという考えをお母さんにずっと言っていて、お母さんはそれにうんざりしていた。(確かに僕から見ても少し時代遅れかなとは思う)しかしまいを連れて引っ越す際にお母さんはついに仕事を辞める決心をしたとおばあちゃんに伝えた。

 

「よく決心しましたね」

「まあね、私には何がいちばん大切かっていう優先順位を考えたわけ」

おばあちゃんはにやりと笑った。

「考えないとわからないんですか」

その笑いがママの気に障った。

「言っておきますけれどね。私はこれで一切仕事やめるつもりじゃないんです。おばあちゃんのような生き方は私にはとてもできないわ。私は私の人生を生きるし、おばあちゃんだからといって私にもまいにも自分の生き方を押し付けることはできないはずよ」

おばあちゃんは寂しそうに微笑んだ。

「確かにもうオールド・ファッションなのかもしれませんね」

言うまでもなく、このやりとりの一部始終は、まいにも聞こえていた。まいはヒメワスレナグサに最後の水やりをしていたのだ。おばあちゃんの言葉があまりに寂しそうに聞こえたので、まいはいたたまれなかった。ママもさすがに胸が痛んだらしかった。

「どうしたの。今のはおばあちゃんらしくないわ。」 まいが言った。

「どういうのが私らしいですか?」    とおばあちゃん

 

「いつも自身に満ちているのよ」

 

 

 

この言葉を聞いて実家にいる自分の祖母、父方のばあちゃんを思い出した。僕のばあちゃんはとても豪快な人で、いつも朝早くから畑で農作業をしている。言うことも、かなり昔気質な「そんな古臭い考え…」みたいに感じてしまうことも多い。でも、僕はばあちゃんのそういったところがなんだかんだでとても好きだし、それがばあちゃんだと思ってる。朝起きてばあちゃんが物腰柔らかに話しかけてきたら雪でも降るんじゃないかと思ってしまうだろう(地域的には豪雪地帯だが)

僕はまいみたいに素直な子じゃなかったので、子供のころでも「おばあちゃん、大好き」とは言えない子供だった。もちろん今も恥ずかしくて素面で言える気がしないのだけれど、いつか、僕の気持ちをなんらかの形で伝えたい、そう思えるような作品だった。

 

 

 

おわり

 

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